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2007年03月07日

□ [エッセイ] ペットボトルと器用人

「ペットボトル工場が天職だと思った」

 先日お会いしたマンガ家のNさんが、前職のペットボトル工場の検品の仕事について言っていたこの言葉。なんだか胸にささって離れません。Nさん曰く…

「だって、ペットボトルの検品中って、好きなだけモウソウ出来るんだよ!」

 それって本当にすごいことだと思います。だって、いわば人生を二倍楽しんでいるんですよ!家族だったり、仕事だったり、お金だったり、友人だったり、意味が与えられていない人生に意味を与えるものって結構たくさんありますが、モウソウほどユビキタスでサステイナブルでコミュラルでエンターテイメントな(意味不明ですよね 苦笑)ものって他にない気がします(笑)当然、モウソウにはモウソウの種が必要だったりするわけですが、幸いなことに日本にはイメージ中心でモウソウの種になりやすいマンガやらアニメやらゲームやらがあふれています。しかもとっても安価に手に入るし、思考実験的なモウソウテイストに満ちた作品も多い。さらにすごいのが、このモウソウが新たなモウソウを生み出している点。モウソウをベースにしたコミュニティの中で、消費者が作り手に、作り手が消費者にサイクルしていきます。この背景には、著作権的にかなりグレーな二次創作活動がある訳ですが、今のところ業界の裾野を広げ作り手と消費者のサイクルを回すという意味において、モウソウ業界は、上手くこの問題とお付き合いしているようにも見えます。よく言えば、クリエイティブコモンズ的ですよね。なんだか、責任が重くハードな仕事と引き換えに終わりなき高収入・消費的満足への願望と個人としての自己実現を図る人たち(いわゆる勝ち組の人々)と、ありきたりな生活とモウソウ的な生活の二重生活を楽しむある種のオタクな人たち、どちらが幸せなんだろうと真剣に考えてしまいます。

 あり合わせの材料で日常を切り抜ける/愉しむ道具を作る人々のことを「器用人(bricoleur)」とレヴィ=ストロースという学者は呼びましたが、あり合わせの材料から、道具ではなくコンセプト(モウソウ)を作る器用さは、意味を失った時代のサバイバルにとってこれ以上ない武器になると思う今日この頃です。

 もちろん、モウソウ器用人として生きていく為には、既にある社会ともお付き合いせねばならず、「個人」としての評価にも耐えねばなりませんし、社会からの経済的評価もきちんと得ていかなければなりません。その意味で、自らのフィールドの外で戦わねばならずかなり「キツイ」と思います。でも、是非是非そういった皆様には頑張っていただきたいと思っている次第です。

 …といいますか、なによりもお話させていただいたNさんの自らのモウソウに対する真摯さというか誠実さに心を打たれたのでした。自分のモウソウを形にすることを願う者として、Nさん、ホントにリスペクトでございます。

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